0.5

はじめに

 

注意

・このブログは、

 はやみねかおる作品の二次創作作品を扱っています。

・原作者様、出版社様、各関係者様には

 一切関係ございません

・盗作、無断転載、自作であるという発言は

 厳禁とさせていただきます。

大体の場合、作品内で大変なネタバレをしています。 

 

作品内容

・二次創作の小説

   〃  の夢小説

 (夢小説での名前変換機能はありません。)

 

03 -Mulberry- (都会トム・柳川・夢)

03 
 

 

 

 

 

 呼ぶ声が聞こえる。萩原の声だ。我に返って、ここだよー、と返す。ぱたぱた軽い足音が近づいてきた。
「あ、ここだったの。考え事?」
「うん、まぁ。ごめん。外まで呼びに来させて」
 残っていた飲み物を一息にあおり、ゴミ箱に捨てる。外にある自動販売機の近くのベンチで休憩していたのだけど、時間の感覚をなくしていた。
 萩原は、私のことを少し見つめて、
「みんな揃ったよ。部屋で待ってる」
「ありがとう。やっと通し稽古が出来るね」
「全員揃って稽古、初めてだねぇ」
「最近、色んな専攻の講評会が集中してたから。講評がなくても、みんなの予定が合うこと自体難しくて」
 腕時計を確認すると、九時半を回っている。やっぱり九時を過ぎないと、ある程度の人数は揃わないか。
「社会人の方もいるもんね。ここのところ毎日12時過ぎまで稽古になってる・・・」
 萩原が強く眉をしかめる。そんな厳しい顔も、萩原から滲む、意識して纏うことなどできないような儚い女性らしさのせいで、愛らしいく感じてしまう。
 萩原は同じ大学の同級生で、今回のパフォーマンスに出演者として参加してくれている。正直、そんなに多くない友達のうちの一人だ。
 製作は終盤に差し掛かっている。各々の表現方法や演出は決まって、それぞれ稽古をしてきた。が、全体の動きがわかる稽古は一度もできていなくて、構成に自信が持てない。
「今日は全体稽古だけの予定?結構時間が遅いけど」
「あー・・・一度全体でやって、必要があれば変えるところ変えて、最後に少しでいいんだけど構成のディスカッションがしたいかな。なるべく早く終わらせたいところだけど」
「うん。いいと思うよ。みんな、ちょっと疲れが溜まってきてるみたいだし」
 行こうか、と萩原を促し、みんなの集まる部屋へと向かう。稽古は大学の実習室を借りて行っている。
 部屋へ入ると、出演者がやいのやいのと楽しそうに話していた。今回は自分を含めて4人で作品を作る。1人が社会人で、残りは大学生だ。ほぼ連日行っている稽古は密なもので、メンバーはだいぶ打ち解けている。
 おつかれ、とかけられた声に応えながら、自分の座布団を出して座った。一人一人の顔を確認してから、口火を切る。
「こんな遅い時間なのに、毎日集まってもらって、ありがとうございます。今日は全員揃っているので、通し稽古をやりたいと思ってるのですが、どうですか?稽古前に共有しておきたいこととかありますか?」
「えーと、共有というか確認なんだけど」
 と同じ大学の先輩、高畠さんが軽く手を挙げた。
「フライヤーって、もう撒いていいんだっけ?明日色々置いてくる予定でいたんだけど」
「あ、もう大丈夫です。たくさん撒いてください。ありがとうございます。」
「じゃ、俺も明日出先に撒くわ」
 多めにフライヤーくれ、と森さんが言う。森さんも同じ大学の卒業生で、広告代理店に勤めるデザイナーだ。
「森さんの出先で撒いてもらえたら、来て欲しい人たちに伝わりそうだねぇ。すっごくありがたい」
「だよなぁ。俺たちで宣伝できる範囲にも、SNSにも限界があるし。ありがたやー森様さま」
「いや別に、仕事柄、顔が広くないとやっていけんってだけだ」
 萩原と高畠さんの言葉に、すこしぶっきらぼうな口調で、森さんが答える。実は照れているのが手に取る様にわかる。ある意味素直な反応しかできない人なんだよなぁと横目で見ながら、3人に100枚近くあるフライヤーを分配する。
「うん。いいデザイン」
「本職の方にそう言ってもらえるなんて恐縮です・・・」
 森さんの褒め言葉に、半分おどけ、半分本気で答える。なんでもないような顔で渡していたが、本当は体に震えが走るぐらい緊張していた。
「ほんとだねぇ。色合いが惹かれる。これ、先輩に見せた?」
 本当は先輩とは誰のことかわかっていたが、あえて誰先輩?と萩原に問い返す。
「水沢先輩。まず見せに行きそうだなぁって思ったんだけど」
「ああ、うん、研究室に置いて行きがてら先輩に宣伝してきた。本番、来てくれるって」
 研究室においてくるついでに、というニュアンスを強く返すと、良かったねぇと萩原が微笑む。今のように、もしかしてかなり察されて(あまつさえ優しく見守られて)いるのではないかと思う瞬間があるがたくさんあるのだが、いまいちよく分からない。意外と、萩原は素と狙っているときの判別がつかないのでちょっと怖い。
「水沢って院の水沢?二人とも仲よかったんだ」
 高畠先輩が意外そうに聞いてくる。まだ私も萩原も1年生なので、あまり接点がないように思えたのだろう。萩原が相変わらずにこにこ微笑みながら答える。
「私は先輩と演習が一つ被ってて。こっちはしょっちゅう『水沢研究室』に行ってるんです」
「あー、もう水沢のもんみたいになってるよな、あそこ。あいつの周りってやっぱ人が集まんだなぁ」
「穏やかで頭のいい人ですもんね。なんかぽかぽかしてて、頼りになるし、経験も積んでるし、かっこいい」
「うちの院にそんなにできたやつがいるのか」
 森さんの言葉に内心がくがく激しく頷きながら、自分も話に加わろうとする。 
「最近、水沢先輩ともう一人、研究室によくっらしゃるみたいですね。えっと・・・」
「ああ、柳川?」
 高畠さんのすこし低くなったトーンに驚きながら、はい、と答える。
「柳川・・・先輩?ですか?」
 萩原が高畠さんと私の顔を交互に見ながら聞いてくる。森さんも、高畠さんの少しだけ不穏なトーンに反応して、高畠さんを見つめている。
「俺と同じ2年生で、あー、・・・・なんていうか、変なやつだよ」
「あそこに変人じゃない奴がいるのか」
 不穏さを和らげようとなのか、少し茶化したような口調で森さんが言う。いやまぁそれもそうなんですけど、と眉間にしわを寄せながら高畠さんは受けて、続ける。
「あいつの変はうちの奴らの変とは違うんですよね。いや、そういう変も持ってるけど。うまく言えないんですけど、まぁ、まず、近寄りがたい」
「怖いってことですか?」
「えーと、私はそんなことなかったけど・・・」
 言葉を選びながら慎重に言う。
「怖いというか、・・・落ち着かないというか。見た目にはすげぇ眠そうでぼんやりして見えるやつなんだけど、実際のところはなんかすごく切れるところがある気がする。いつも全く表情が変わらないから、何考えてるか本当に読めないのに、異様にいろんなもの感じ取ってそうで、対面してると落ち着かない」
 −−いや、別に嫌いとかじゃないんだ、ごめん、と誰に詫びるでもなく高畠さんは付け足した。いえ、いいんです、となんとなく答えてしまう。確かに貶めたい気持ちというよりも、あまりに苦手で思わず吐露してしまったという感情の方が含まれているような言葉だった。
「あ、柳川先輩ってこの前の課題、立体出してました?あのこっちを見つめる子供の」
「・・・俺もその柳川くんっていうの知ってるかもしれんなぁ」
 萩原も森さんもなにか思い当たったらしい。二人とも知ってるなんてそんなに顔の知れた人だったのか、と意外に思いながら森さんに聞く。
「森さんが知ってるってことは、なにかデザイン方面で賞をとったりしてる方なんですか?」
「いや、仕事で繋がってる人からさらに繋がってるかもしれないって感じかね。もし俺のいってるのがその柳川くんと同じなら、・・・いろいろな面で随分腕の立つ人になるな」
 含みをもたせた言い方が気になったが、萩原の質問に高畠さんが答える会話が入ってくる。
「そうそう、多分それ。子供の顔の立体。毎回作品の媒体違うんだよな」
「やっぱり。あの作品作った人なんだ。・・・確かに、周りの作品より一つ外の流れの世界にあるような感じだったなぁ。作った人どんな人なんだろうって気になってた」
「その作品って、まだどこかで見れる?」
 萩原の言葉が琴線に触れて、俄然興味が出てきた。
「うん、まだ中央棟の展示室にあると思う。あの専攻はいい作品はしばらく展示させとくから。見に行く?」
「行きたい。すごく見たい」
「じゃぁ明日見に行こう。私もまた見に行きたいと思ってた」
 高畠さんと森さんはそれぞれになにか考えているような表情をしていた。しばらくして森さんが口を開く。
「俺も今度それ見に行こうかね。・・・そろそろ稽古するか」
 はい、そうですね、と各々頷いて、稽古のモードに入る。自分も体を持っていこうとするが、なかなか集中できなかった。

02 -Mulberry-(都会トム・柳川・夢)

 

 

02

 

 

 ソファから起き上がったその人は、少し不思議な色の印象をまとっていた。陽の光に当たっていないからだろうと察しのつく肌の白さ。黒髪から自然と色が抜けていったような、彩度の低い茶色の髪。染めているようには見えない。全体的に、日本画の絵具のように抑えられた色の人だ。随分ぼんやりとした感じの、あ、目もすごくぼんやりしてるな。

「あれ、居たの気づいてなかった?」

水沢先輩の声で我に帰る。驚きで固まってしまっていた息が戻る。

「き、気づきませんでした」

「じゃあびっくりするね。お前も、最初に挨拶ぐらいしろよ」

 その人はゆっくりと立ち上がっていた。水沢先輩の声が聞こえていないかのような無言っぷりだった。今の私が言えたことじゃないけど、随分顔色が悪い。疲れ果てているのが見た目だけでわかる。整える気のなさそうなひげも、好き放題伸びてる。クマも濃い。眠そうな目つきと相まって、かなり人相が悪く見える。

「この子、後輩ね。ぴちぴちの十代。前話した子だよ。あの個展の」

「・・・知ってる」

 掠れた声で、その人がそっけなく返した。何か耳から外して、コードを束ねている。イヤホンをつけていたらしい。

「見に行ったんだっけ?」

「行ってない」

「だよね。締め切りが近かったんだったか」

 連れて来たかったって言ってたのはこいつなんだよと、水沢先輩が彼を軽く腕で示す。確かに、個展のオープニングに来てくれた時、一番見せたかったやつが来れなくなっちゃってと申し訳なさそうに言っていた。

「彼、柳川くんっていうの。二年生」

「あ、院生の方じゃないんですか」

 男−−−柳川さんの態度や水沢先輩の気楽な接し方から、てっきり先輩と同じ大学院生だと思っていた。

 今、ヒゲと目つきのせいで、一つ上に見えないよねーと、からから笑う水沢先輩を、柳川さんは全く何を考えてるかわからない無表情で見る。不意に、その半分しか開いていない目がこちらに向いた。

「次は、いつやるんだ?」

 え、と言葉が詰まる。次というのが何のことか理解できなかった。が、手元のフライヤーに彼の目が向いているのを見て、次の作品のことを聞かれていることを理解する。

「あ、えと、来月の二十日です。祝日の」

反射的にフライヤーを渡す。深々お辞儀もしてしまう。やっぱり作品の告知は慣れない。

日時や場所の詳細は裏面に書いてあるのだが、柳川さんはじっと表面を見つめていた。

 何か記載に不備があったんだろうか、それともデザインそのものだろうか。そういえば柳川さんって何の専攻だろう。デザイン系のグラフィックとかだったらもう私のこのデザインって・・・と不安がもやもや大きくなっていく。

「柳川くんはグラフィックとか音響もやる人。純粋に音楽自体もやるし、ファイン系の絵画もやるよ」

 心を読んだような水沢先輩の発言に、顔が熱くなるのを感じた。そうなんですかと、どうにか答える。声が上ずった。

「もし、お時間がよろしければいらしてください」

 相変わらずフライヤーを見続けている柳川さんにいう。まだ顔が熱くて恥ずかしいが。

 柳川さんは、ああ、とほとんど聞き取れないくらいのかすれ声で返事をした。

「そのフライヤーのデザインいいね」

 不意打ちで言われた水沢先輩の言葉に、体が、微かにひくりと動いてしまった。一番言って欲しかった人に言ってもらえて、嬉しいうれしいと溢れた感情を抑える。落ち着け。

「ありがとうございます」

「自分の抽象表現とデザインの仕方の両立が、だんだん分かってきてるような感じというか。いい画面構成だと思う」

 なんの気負いも特別なトーンもない、自然な声の褒め言葉に、胸がねじくれたような感覚があった。痛いようなくすぐったいような、変な感覚。それを押し殺して、もう一度、できるだけ冷静に、ありがとうございますという。

「うん。これ、個展の時のフライヤーに載ってた作品よりいいよな」

 水沢先輩の言葉に、ああ、とさっきよりもはっきりと柳川さんが応じる。いつの間にか、フライヤーから顔を上げてこちらを見ていた。あんまりまっすぐ見てきていたので、少し体が萎縮する。

「・・・綺麗な色を持ってる」

 声も顔も無表情なのに、とても大事そうに発音された柳川さんの言葉は、ストンとお腹のあたりに落ちた。抽象的なことを言ってるのに、本当の所にあるものを言われた気がした。

「おー、柳川が褒めるなんて珍しいね。なんか最近丸くなった?なった?」

 茶化すように肩をたたく水沢先輩に、柳川さんはため息をつきながら、うるさいとつぶやいた。柳川さんの目が余所を向いた瞬間、あ、と何故か理解した。今までの目は、観察していた目だ。

 気づくと同時に、ついに汗が吹き出した。もしかして、いや、いやいや。まさか。

01 -Mulberry-(都会トム・柳川・夢)

 

 

01

 

 

 昼過ぎから始まった作品の講評会は、四時間近く続いた。専攻科生全ての作品を一人一人講評していくとは聞いていたから、覚悟はしていた。が、流石に体力も気持ちも限界だ。

 教授から受けた、短く厳しい言葉を反芻しながら、自分の作品を片付ける。レストハウスにでも寄って、講評中の思考と言葉を書き連ねたノートを整理しようかと思ったが、イーゼルを肩に担いだだけでふらついた。だめだ。早く用事だけ済ませてかえろう。

 教授の研究室が並ぶ研究棟に向かいながら、昨夜届いたばかりのフライヤーを、鞄から取り出す。自分の作品を宣伝するのは、なかなか慣れない。実際に人と向き合うことのないSNSでの宣伝でも、文章を投稿するまでに1時間はかかってしまう。今日は一番これを渡しやすくて、一番早くに見せたい人の所にだけ行こう。

 研究棟の三階までエレーベーターで上がる。ふらふらするし、耳鳴りもする。階段を上るだけでも危うい。三階についた。右へと折れる。静かな廊下をぺたぺた歩いていく。耳鳴りが鳴り止まなくなったところで、やっと着いた。

 疲れている体を一旦忘れて、深呼吸をする。今朝は締め切り前の追い込みで、早朝から制作室に入って作品を作っていた。シャワーもドライヤーもろくにできていない髪は、今更何もできないような有様だが、気休めでも前髪を整えてしまう。

 ごんごんと強めにノックする。ドアを開けようとすると、あちらから勢いよく開いた。はいはーいと緊張感のない声が迎える。ああ居た。良かった。

「おおー、久し振りだねぇ」

 片手にお茶を持ったままの水沢先輩が、いつも通りのへろりとした笑顔で出てきた。 

「ほんとにお久しぶりです」

「本当にな。でも、今日はそろそろ来るかなぁと思ってた」

 どうぞどうぞ、と室内に招き入れてくれる先輩に、失礼します、と断って中に入った。

 一応、この部屋の本当の主である教授、というか先生と呼んでいるのだけど。先生の姿を探すが、やはりいない。相変わらずの忙しさなのだろう。

「今日確か講評の日だったね。どうだった?」

 色々と言おうとして、どれも言葉にできずに、口が開きっぱなしになった。まだ自然に発話ができるほど整理ができていないのだと、やっと気づく。

「ごめん、急かして。今日はまだ疲れてまとまらないか」

 言葉を見出せない私に、水沢先輩が言う。

「いえ、あの、そんなことないです。なんか、・・・言葉が、うまく言いたい事と嵌らなくて。・・・言いたいこと自体はいっぱいあるんですけど」

「うん」

 特別優しい声音でもないのに、色んなものを受け止めてくれるような、不思議な発声を水沢先輩はする。というより、普段の言動そのものからも、それが伝わって来る。そこには不自然さや無理がない。

「大変だったね。でも、とにかく今はお疲れ様」

 ほんとに頑張ってたもんな、といって、にこにこしながら水沢先輩はお茶を淹れてくれた。そして、なんか甘いもんあったかねーと、教授のデスクを漁りだす。あまりに迷いない漁り方に感心してしまう。

「あ、ありがとうございます。でも、フライヤー渡しに来ただけなので。すぐ帰ります」

 とりあえず来客用の椅子に座り、お茶をなるべく早く飲み干そうとする。ほうじ茶か。

 この部屋は、製作と出張に忙殺されている先生の部屋というよりは、空調使い放題で深夜まで残れるからと、自分の作業に来ている水沢先輩の部屋になっている。だが、ただ部屋を使用するだけではなく、掃除や、書類整理、不在中の電話の応対、先生の大学内でのスケジュール管理もやっているらしい。それで随分助かっているのか、先生は「部屋は使われてなんぼ」と言って先輩の好きにさせている。

 だから、部屋には大体、水沢先輩しかいない。今年の入学以来、あることがきっかけで、度々この部屋には用もないのに来ていた。殆ど先輩と話したり、作品を見てもらったりするためである。噺の上手い先輩に、私もついついのっかってしまい、終電まで話し続けることもよくあった。無理をすることもなくて、本当に楽しいのだけど、今日はちょっと疲れすぎている。眠気が眼の奥に溜まっているような感覚が、さっきからずっとしていた。

「お、遂にフライヤーできたか」

 見せて見せて、と本当に嬉しそうに先輩はフライヤーを求めてきた。自分のデザインした作品なので、かなり緊張と気恥ずかしさがあるが、顔には出さず渡す。

「あれっパフォーマンス作品?インスタレーションじゃないんだ」

 第一声がフライヤーのデザインの感想ではなくて、安心したような感想が聞きたかったような。微妙な気持ちではいと答える。

「じつは、二ヶ月前ぐらいから、人集めて稽古してました」

「えぇ?全然知らなかった。というか、分からなかった。つい最近まで、きみ健康に見えたし」

 あ、それなら分からないかもしれませんね、と素直に納得していると、自覚があるなら気をつけなさい、と珍しく真面目な顔で怒られる。それも素直に反省する。

 自分の製作と課題とバイトを全てをまわしいくのは、まだまだ要領がつかめなくて上手くいかない。ただでさえ心身ともに力を要する作品製作の終盤ごろには、私は酷い見かけになっているらしい。どんどん身なりに構わなくなっていくわ、ご飯のタイミングを忘れるわ、ことあるごとに鼻血がでるわ血尿がでるわで、一見すると病人そのものなのだそうだ。でも、それは講評や締め切り前の美大生にはよくあることでもある。

「ま、体力あるうちじゃないと作れない作品とか、試せないことがあるのは確かだし、分かるけどね。でも、健康を保てての話だからね。それも」

 と、水沢先輩は神妙な顔で言いながら、なにかを力強く差し出してきた。そんな顔つきが珍しいのと、心配してもらえてるのが、−−−ちょっと不必要なぐらい嬉しく感じてしまって、気持ちが顔にこぼれないよう、真面目な顔つきを保ってそれを受け取る。ぽとぽとっと手のひらに落ちるてくる。チロルチョコ。どっちもミルク味。

 な、と同意を求めるような水沢先輩の声に、は、はい、気をつけますと答えかけたところで先輩の声が続いた。

「お前にもいってんだよー」

 へ?と間の抜けた声で水沢先輩の顔を見ると、丁度、先輩が、私の後ろにあるソファに向かってチロルチョコを放り投げたところだった。

 振り返ると、こちら側とは反対向きに向いているソファの背から、急に腕が現れた。突然にゅっと伸びてあらわれたそれにも声がでるほど驚いた。が、その腕が余りにもゆったりと、別れて飛んで行った二つ分のチロルチョコを掴んだのにも驚いた。ちょっと、普通では考えられない動きをした。諸々驚きすぎて本当に息が止まる。

 その腕は一旦ソファの背に引っ込み、次にゆらりと上がってきたのは、なんだか−−−色素の薄い色の男の人だった。