02 -Mulberry-(都会トム・柳川・夢)
02
ソファから起き上がったその人は、少し不思議な色の印象をまとっていた。陽の光に当たっていないからだろうと察しのつく肌の白さ。黒髪から自然と色が抜けていったような、彩度の低い茶色の髪。染めているようには見えない。全体的に、日本画の絵具のように抑えられた色の人だ。随分ぼんやりとした感じの、あ、目もすごくぼんやりしてるな。
「あれ、居たの気づいてなかった?」
水沢先輩の声で我に帰る。驚きで固まってしまっていた息が戻る。
「き、気づきませんでした」
「じゃあびっくりするね。お前も、最初に挨拶ぐらいしろよ」
その人はゆっくりと立ち上がっていた。水沢先輩の声が聞こえていないかのような無言っぷりだった。今の私が言えたことじゃないけど、随分顔色が悪い。疲れ果てているのが見た目だけでわかる。整える気のなさそうなひげも、好き放題伸びてる。クマも濃い。眠そうな目つきと相まって、かなり人相が悪く見える。
「この子、後輩ね。ぴちぴちの十代。前話した子だよ。あの個展の」
「・・・知ってる」
掠れた声で、その人がそっけなく返した。何か耳から外して、コードを束ねている。イヤホンをつけていたらしい。
「見に行ったんだっけ?」
「行ってない」
「だよね。締め切りが近かったんだったか」
連れて来たかったって言ってたのはこいつなんだよと、水沢先輩が彼を軽く腕で示す。確かに、個展のオープニングに来てくれた時、一番見せたかったやつが来れなくなっちゃってと申し訳なさそうに言っていた。
「彼、柳川くんっていうの。二年生」
「あ、院生の方じゃないんですか」
男−−−柳川さんの態度や水沢先輩の気楽な接し方から、てっきり先輩と同じ大学院生だと思っていた。
今、ヒゲと目つきのせいで、一つ上に見えないよねーと、からから笑う水沢先輩を、柳川さんは全く何を考えてるかわからない無表情で見る。不意に、その半分しか開いていない目がこちらに向いた。
「次は、いつやるんだ?」
え、と言葉が詰まる。次というのが何のことか理解できなかった。が、手元のフライヤーに彼の目が向いているのを見て、次の作品のことを聞かれていることを理解する。
「あ、えと、来月の二十日です。祝日の」
反射的にフライヤーを渡す。深々お辞儀もしてしまう。やっぱり作品の告知は慣れない。
日時や場所の詳細は裏面に書いてあるのだが、柳川さんはじっと表面を見つめていた。
何か記載に不備があったんだろうか、それともデザインそのものだろうか。そういえば柳川さんって何の専攻だろう。デザイン系のグラフィックとかだったらもう私のこのデザインって・・・と不安がもやもや大きくなっていく。
「柳川くんはグラフィックとか音響もやる人。純粋に音楽自体もやるし、ファイン系の絵画もやるよ」
心を読んだような水沢先輩の発言に、顔が熱くなるのを感じた。そうなんですかと、どうにか答える。声が上ずった。
「もし、お時間がよろしければいらしてください」
相変わらずフライヤーを見続けている柳川さんにいう。まだ顔が熱くて恥ずかしいが。
柳川さんは、ああ、とほとんど聞き取れないくらいのかすれ声で返事をした。
「そのフライヤーのデザインいいね」
不意打ちで言われた水沢先輩の言葉に、体が、微かにひくりと動いてしまった。一番言って欲しかった人に言ってもらえて、嬉しいうれしいと溢れた感情を抑える。落ち着け。
「ありがとうございます」
「自分の抽象表現とデザインの仕方の両立が、だんだん分かってきてるような感じというか。いい画面構成だと思う」
なんの気負いも特別なトーンもない、自然な声の褒め言葉に、胸がねじくれたような感覚があった。痛いようなくすぐったいような、変な感覚。それを押し殺して、もう一度、できるだけ冷静に、ありがとうございますという。
「うん。これ、個展の時のフライヤーに載ってた作品よりいいよな」
水沢先輩の言葉に、ああ、とさっきよりもはっきりと柳川さんが応じる。いつの間にか、フライヤーから顔を上げてこちらを見ていた。あんまりまっすぐ見てきていたので、少し体が萎縮する。
「・・・綺麗な色を持ってる」
声も顔も無表情なのに、とても大事そうに発音された柳川さんの言葉は、ストンとお腹のあたりに落ちた。抽象的なことを言ってるのに、本当の所にあるものを言われた気がした。
「おー、柳川が褒めるなんて珍しいね。なんか最近丸くなった?なった?」
茶化すように肩をたたく水沢先輩に、柳川さんはため息をつきながら、うるさいとつぶやいた。柳川さんの目が余所を向いた瞬間、あ、と何故か理解した。今までの目は、観察していた目だ。
気づくと同時に、ついに汗が吹き出した。もしかして、いや、いやいや。まさか。