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03 -Mulberry- (都会トム・柳川・夢)

03 
 

 

 

 

 

 呼ぶ声が聞こえる。萩原の声だ。我に返って、ここだよー、と返す。ぱたぱた軽い足音が近づいてきた。
「あ、ここだったの。考え事?」
「うん、まぁ。ごめん。外まで呼びに来させて」
 残っていた飲み物を一息にあおり、ゴミ箱に捨てる。外にある自動販売機の近くのベンチで休憩していたのだけど、時間の感覚をなくしていた。
 萩原は、私のことを少し見つめて、
「みんな揃ったよ。部屋で待ってる」
「ありがとう。やっと通し稽古が出来るね」
「全員揃って稽古、初めてだねぇ」
「最近、色んな専攻の講評会が集中してたから。講評がなくても、みんなの予定が合うこと自体難しくて」
 腕時計を確認すると、九時半を回っている。やっぱり九時を過ぎないと、ある程度の人数は揃わないか。
「社会人の方もいるもんね。ここのところ毎日12時過ぎまで稽古になってる・・・」
 萩原が強く眉をしかめる。そんな厳しい顔も、萩原から滲む、意識して纏うことなどできないような儚い女性らしさのせいで、愛らしいく感じてしまう。
 萩原は同じ大学の同級生で、今回のパフォーマンスに出演者として参加してくれている。正直、そんなに多くない友達のうちの一人だ。
 製作は終盤に差し掛かっている。各々の表現方法や演出は決まって、それぞれ稽古をしてきた。が、全体の動きがわかる稽古は一度もできていなくて、構成に自信が持てない。
「今日は全体稽古だけの予定?結構時間が遅いけど」
「あー・・・一度全体でやって、必要があれば変えるところ変えて、最後に少しでいいんだけど構成のディスカッションがしたいかな。なるべく早く終わらせたいところだけど」
「うん。いいと思うよ。みんな、ちょっと疲れが溜まってきてるみたいだし」
 行こうか、と萩原を促し、みんなの集まる部屋へと向かう。稽古は大学の実習室を借りて行っている。
 部屋へ入ると、出演者がやいのやいのと楽しそうに話していた。今回は自分を含めて4人で作品を作る。1人が社会人で、残りは大学生だ。ほぼ連日行っている稽古は密なもので、メンバーはだいぶ打ち解けている。
 おつかれ、とかけられた声に応えながら、自分の座布団を出して座った。一人一人の顔を確認してから、口火を切る。
「こんな遅い時間なのに、毎日集まってもらって、ありがとうございます。今日は全員揃っているので、通し稽古をやりたいと思ってるのですが、どうですか?稽古前に共有しておきたいこととかありますか?」
「えーと、共有というか確認なんだけど」
 と同じ大学の先輩、高畠さんが軽く手を挙げた。
「フライヤーって、もう撒いていいんだっけ?明日色々置いてくる予定でいたんだけど」
「あ、もう大丈夫です。たくさん撒いてください。ありがとうございます。」
「じゃ、俺も明日出先に撒くわ」
 多めにフライヤーくれ、と森さんが言う。森さんも同じ大学の卒業生で、広告代理店に勤めるデザイナーだ。
「森さんの出先で撒いてもらえたら、来て欲しい人たちに伝わりそうだねぇ。すっごくありがたい」
「だよなぁ。俺たちで宣伝できる範囲にも、SNSにも限界があるし。ありがたやー森様さま」
「いや別に、仕事柄、顔が広くないとやっていけんってだけだ」
 萩原と高畠さんの言葉に、すこしぶっきらぼうな口調で、森さんが答える。実は照れているのが手に取る様にわかる。ある意味素直な反応しかできない人なんだよなぁと横目で見ながら、3人に100枚近くあるフライヤーを分配する。
「うん。いいデザイン」
「本職の方にそう言ってもらえるなんて恐縮です・・・」
 森さんの褒め言葉に、半分おどけ、半分本気で答える。なんでもないような顔で渡していたが、本当は体に震えが走るぐらい緊張していた。
「ほんとだねぇ。色合いが惹かれる。これ、先輩に見せた?」
 本当は先輩とは誰のことかわかっていたが、あえて誰先輩?と萩原に問い返す。
「水沢先輩。まず見せに行きそうだなぁって思ったんだけど」
「ああ、うん、研究室に置いて行きがてら先輩に宣伝してきた。本番、来てくれるって」
 研究室においてくるついでに、というニュアンスを強く返すと、良かったねぇと萩原が微笑む。今のように、もしかしてかなり察されて(あまつさえ優しく見守られて)いるのではないかと思う瞬間があるがたくさんあるのだが、いまいちよく分からない。意外と、萩原は素と狙っているときの判別がつかないのでちょっと怖い。
「水沢って院の水沢?二人とも仲よかったんだ」
 高畠先輩が意外そうに聞いてくる。まだ私も萩原も1年生なので、あまり接点がないように思えたのだろう。萩原が相変わらずにこにこ微笑みながら答える。
「私は先輩と演習が一つ被ってて。こっちはしょっちゅう『水沢研究室』に行ってるんです」
「あー、もう水沢のもんみたいになってるよな、あそこ。あいつの周りってやっぱ人が集まんだなぁ」
「穏やかで頭のいい人ですもんね。なんかぽかぽかしてて、頼りになるし、経験も積んでるし、かっこいい」
「うちの院にそんなにできたやつがいるのか」
 森さんの言葉に内心がくがく激しく頷きながら、自分も話に加わろうとする。 
「最近、水沢先輩ともう一人、研究室によくっらしゃるみたいですね。えっと・・・」
「ああ、柳川?」
 高畠さんのすこし低くなったトーンに驚きながら、はい、と答える。
「柳川・・・先輩?ですか?」
 萩原が高畠さんと私の顔を交互に見ながら聞いてくる。森さんも、高畠さんの少しだけ不穏なトーンに反応して、高畠さんを見つめている。
「俺と同じ2年生で、あー、・・・・なんていうか、変なやつだよ」
「あそこに変人じゃない奴がいるのか」
 不穏さを和らげようとなのか、少し茶化したような口調で森さんが言う。いやまぁそれもそうなんですけど、と眉間にしわを寄せながら高畠さんは受けて、続ける。
「あいつの変はうちの奴らの変とは違うんですよね。いや、そういう変も持ってるけど。うまく言えないんですけど、まぁ、まず、近寄りがたい」
「怖いってことですか?」
「えーと、私はそんなことなかったけど・・・」
 言葉を選びながら慎重に言う。
「怖いというか、・・・落ち着かないというか。見た目にはすげぇ眠そうでぼんやりして見えるやつなんだけど、実際のところはなんかすごく切れるところがある気がする。いつも全く表情が変わらないから、何考えてるか本当に読めないのに、異様にいろんなもの感じ取ってそうで、対面してると落ち着かない」
 −−いや、別に嫌いとかじゃないんだ、ごめん、と誰に詫びるでもなく高畠さんは付け足した。いえ、いいんです、となんとなく答えてしまう。確かに貶めたい気持ちというよりも、あまりに苦手で思わず吐露してしまったという感情の方が含まれているような言葉だった。
「あ、柳川先輩ってこの前の課題、立体出してました?あのこっちを見つめる子供の」
「・・・俺もその柳川くんっていうの知ってるかもしれんなぁ」
 萩原も森さんもなにか思い当たったらしい。二人とも知ってるなんてそんなに顔の知れた人だったのか、と意外に思いながら森さんに聞く。
「森さんが知ってるってことは、なにかデザイン方面で賞をとったりしてる方なんですか?」
「いや、仕事で繋がってる人からさらに繋がってるかもしれないって感じかね。もし俺のいってるのがその柳川くんと同じなら、・・・いろいろな面で随分腕の立つ人になるな」
 含みをもたせた言い方が気になったが、萩原の質問に高畠さんが答える会話が入ってくる。
「そうそう、多分それ。子供の顔の立体。毎回作品の媒体違うんだよな」
「やっぱり。あの作品作った人なんだ。・・・確かに、周りの作品より一つ外の流れの世界にあるような感じだったなぁ。作った人どんな人なんだろうって気になってた」
「その作品って、まだどこかで見れる?」
 萩原の言葉が琴線に触れて、俄然興味が出てきた。
「うん、まだ中央棟の展示室にあると思う。あの専攻はいい作品はしばらく展示させとくから。見に行く?」
「行きたい。すごく見たい」
「じゃぁ明日見に行こう。私もまた見に行きたいと思ってた」
 高畠さんと森さんはそれぞれになにか考えているような表情をしていた。しばらくして森さんが口を開く。
「俺も今度それ見に行こうかね。・・・そろそろ稽古するか」
 はい、そうですね、と各々頷いて、稽古のモードに入る。自分も体を持っていこうとするが、なかなか集中できなかった。